なんとなく今日は休養日(最近土日出かけてばかりだったから)なので、家でダラダラとしていた。テレビばかり見てた。
・昔の「白い巨塔」を見た。やはり演出的には現代版「白い巨塔」の方が好きだけど、ごろーちゃん役としては田宮二郎のほうがいいかも。昔田宮二郎のことを加藤剛(大岡越前)と勘違いしていたが、今見てもやっぱなんとなく似てると思う。
・白い巨塔が15~16時の間休憩だったので甲子園を見る。いい試合だった。駒大苫小牧のピッチャーの最後のバッター(済美の4番)に対しての投球は元気玉もらったようにいい切れしてたように見えた。
・4chにすると汚れ女優筆頭がマラソンしてる。鉄腕DASHやってると思ったのに。がっかりだ。チャンネル変更。
どーしてこうなるの?というくらいこじれにこじれ、ドロドロのぐちゃぐちゃ。物があるのに仕様書がない。誰も要求を理解してない。客お怒り。誰も現在の状況を把握していない。改修しようとしても金がない。協力会社も混乱の極み。あなたは誰?ここはどこ?
そんなプロジェクトにヘルプに入ってなんとかするのが今の仕事。
もう結構そういうのの耐久性はできているし、そういう惨憺たる状況から一歩引いた形で協力するという関係を作れたのでそんなに痛くはない。むしろ客観的に何がいけないか分かるので、話のネタとしては面白い。
俺も一つ成長したなあと褒めてあげたい。
で、こないだ久々に東京に出てきたすーさんとその彼女と飲んだ際、すーさんの彼女に「今どんな仕事してるんですか?」と聞かれ、上記のスペシャル愛憎劇みたいな状況を一発で知ってもらうような絶妙な比喩を推敲した結果、出てきた言葉がこれだ。
俺:「『牡丹と薔薇』のようなプロジェクトやってます」
すー嫁:「え~、よくわかんな~い」
俺:「ですよね。」
まだまだなようだ。orz
・実はうちの会社から一人、オリンピックに出場してらっしゃる人がいる。同期だったりするけど、あまり話したことはない。
・その彼の種目は内緒だが、とりあえず会社を上げて応援。最寄の駅にも「頑張れ!!○○君!」みたいなポスターを貼っていた。
・今日の朝、会社に来るときにそのポスターを見たら一回戦敗退ですが力出し切りました!みたいなニュースが張ってあった。テレビではなくてこんなちっぽけな紙切れで知ったことがショック。
・昼食時にそれについて話し合い、「やっぱマスコミに取り入らないと、いくらすごくても有名になれないんだよ」とか「マイナーなスポーツでもちょっとしたタレント性があればマスコミは食いつく」だの神聖なるスポーツ会話がそんなネタで汚される。それもこれもマスコミのせいだ。マスコミのばーか。
・この会話は「やっぱり電通がくいっぱぐれしない会社なんだよ」というよくわからない〆で終了した。
・帰ってきたら愛ちゃんが負けた試合をしていたが試合は面白かった。残念愛ちゃん。
・着声で「サッ」が出てほしい。
・福原愛の試合を見て「卓球おもしろい」と思ったのは前日書いた日記のとおり。
・その話を会社で後輩にしてみたら、「え~、でも卓球ってなんかこう、、、小さいじゃないっすか。スケールが。なんかせせこましいし。後ろにそれた球、選手が自分で拾うんですよ?」と言われた。
・そんな事で大きい小さいの判断基準を持つ後輩のセンスがなかなか素敵なんだけど、卓球もテニスみたいに小坊主が走って取りに行くべきなんだろうか?
・でもあの小さい台で、そんなに遠くへ飛ばないボールのために小坊主が必死に走って選手のために球を拾っている絵は、なんか偉そうでいやだ。イメージで言えば成金。テニスは広いから小坊主必要。昔からの富豪っていう優雅さがあるイメージ。
・ということで卓球少女愛ちゃんには球を自分で拾いつつ、頑張ってほしい。
帰りに電車の中吊り広告(恐らくアサヒ芸能)に「ナベツネの老害院政」という見出しが書かれていた。ありゃナベツネという個人が濃くて化け物でバカだから害なだけだろう。
老害という言葉を使うと老いた人すべてが悪い感じがするのでよくない。と、思ったりもするけど、たまに腹立たしいこともある。
こないだの土曜日、疲れきって寝ていたら朝の7時くらいにけたたましく玄関の呼び鈴が鳴った。あまりにしつこいので大家だろうと思ってシカト。どうも他の家にもやってるらしい。
お前は婆さんで朝早いからいいかもしれんが、ここに住んでいる住人は毎日働いてやっと土曜日にゆっくりできているという事を考えた事がないのか?しかもその用事が「一階に置いてある自転車は誰のだ?」だと。知るかボケ。久々に軽く殺意を覚える。絶対引っ越してやる。
あと今の仕事で絡んでいるお客さんの窓口役はすでに定年を迎えているのだが、会社にしがみつくために無理やりプロジェクトを組んで居座っていたりするらしい。
別にたかだか身の回りに起きた些細な例を挙げて老害という言葉を肯定するつもりはない。
まあ、思うのは人にも仕事にも謙虚さを失ったら駄目だという事をを教えてくれる反面教師は得てして老害という言葉が当てはまってしまう人が多いってことだ。
・福原愛ちゃんの試合(VS ミャウミャウとかいう選手)を見て、点が入った時の「サッ!」という声がなんか可愛いと思う。
・サッカー残念。イタリアの開始直後のオーバーヘッド・シュートは鳥肌立ちまくり。
・柔道の谷選手の金メダルに「オメデトウ!」と心でエールを送ったが、その後の野村の金メダル、そして嫁さんのアップに「ああ、谷の負けだなぁ・・・」と感じ、「残念!」と心でエールを再度送る。
しばらくぶりにエントリしてみる。正直、なんか面倒になってしまって、更新しなかった。ごめんなさい。
ちなみにお盆は毎年恒例の実家戻り&墓参り。「墓参り」というと「ちゃんとお盆にお墓参りするなんてえらいね」とか言われてしまうけど、子供の頃からの習慣なので義務感を感じているわけではない。むしろ命日に行けない分申し訳ないねえ、爺さんという感じ。
世の中の一般的な家庭はそんなに墓参りとか、仏壇でお経とかどれくらいしているのか知らないけれど、うちは婆さんが一緒に住んでいるので子供の頃からそれが当たり前のごとく行われていた。
ちなみに、今は随分小さくなった婆さんだが、昔は「デパートを練り歩いて足腰を鍛える」というくらい元気な婆さんだったので、そのデパート歩きの際にオコボレを貰うべく結構一緒に行動してたので婆さんっ子な一面もあったりする。
爺さんはノーベル平和賞取った佐藤栄作に顔がそっくりで、教科書見た時に「実は兄弟なのでは?」と思ってしまうくらい。幼稚園の時に将棋を教えてもらった。あと、猛烈に屁が臭かった。
そんな爺さんが小学校一年生の時に亡くなった。それ以降、婆さんは毎日お経を欠かさないのだが、それにしばらくの間毎日付き合い、お経を覚えた。うちの担当のお寺さんに「うちに来ないか?」と、軽くスカウトされたことがある。そして子供ながらに断った覚えもある。
ということで、自分にとって墓参りや仏壇でのお参り、ついでに寺という仏教ははなんとなく自分の下地になっている。アジアに行けば寺で午後ずっとくつろいでいたりもするし、こないだのミャンマーでは日本人墓地に行ってお参りしようと思ったくらいだ。(場所が不明で断念)
盆と正月というタイミングで帰ると、なんとなくこれまであった出来事を報告し、帰りに軽い決意表明をしてから「んじゃまた半年後ね。頑張ってくるわ」と言って東京に戻ってくる。
というわけで、今回の決意表明は禁煙だったりする。すいません。ごめんなさい。意志弱いの。書いたのにさっぱりできてません。禁煙→喫煙→禁煙・・・っていうのを数回繰り返して今は「喫煙」状態。自分の中で正直コツはつかんでいて、精神的に弱っているときについ一本吸ってしまうって再開というのが王道パターンとなっている。そこさえ乗り越えれば続けられるのは分かった。
あとは強い決意のみ。
なので、今日は爺さんという英霊の力を無理やり拝借(したつもり)して、仏壇に持っていたタバコを授けて帰ってきた。
ちなみに、爺さんは生前、たいそうなタバコ好きで、墓前では蝋燭と共にタバコを供え、仏壇にも灰皿が置いてあり愛飲していた「チェリー」が置いてあったりする。
タバコを吸う人は、タバコ仲間が禁煙するのを妨げる傾向がある。爺さん、引き戻さないでね。